※捏造設定がありますので、ご注意ください。









Metatron












 午前2時のバーにはリゾットと一人の客しかいなかった。
 薄暗い店内は橙色の明かりが唯一のぬくもりのように輝いている。
 それいがいはそういう演出か、それとも単に古いだけなのか、退廃的な雰囲気をかもしだしている。
 リゾットは手にしているグラスを磨いていた。
 客である女はカウンターに座り、グラスを磨く男の指先だけを見ていた。
 彼女が手に持っていたのは、単なるウィスキーの水割り。
 多少の野暮ったさを彼女は自覚しながらも、彼女はそれを口に含んだ。

 「仕事はどうよ?」

 唐突に彼女はリゾットに尋ねる。
 当時にカランとグラスを傾け、その音に耳を済ませた。
 いいグラスを使っている。
 錯覚かもしれないけれど、と思いながら微笑んだ。

 「昨日終わった」

 対するリゾットは淡々とした声で答えた。
 やはり、視線を彼女に合わせず、黙々とグラスを磨いていた。
 脳裏には昨日の殺しの『仕事』がわずかに浮かぶ。
 心は動かない。

 「さすが、あたしのおかげ、って違う、今日の。今の仕事」

 彼女は前半は軽くふざけながら唇を尖らす。
 そのテンションから彼は彼女が少しよっていることに気づいた。
 彼女はリゾットが所属している組織『パッショーネ』に間接的に関わっている情報屋。
 まだ駆け出しで、単なる使いっぱしりのような仕事ばかりさせれているが、情報はしっかりとしている。
 そして、リゾットの副業であるバーの常連客で、彼にとって気心のしれた奴でもあった。

 「ああ? ああ、別に」
 「いつも通り、客は少ないか」
 「そんなところだ」
 「いつもそう答えるね」
 「そんなところだ」
 「一字一句違わない答えだね」
 「気に食わないなら来るな」

 その言葉に彼女は肩をすくめる。
 肯定も否定もしない曖昧なニュアンスで苦笑い。

 「嫌われてるなぁ。不毛だわ。よし、バーテン、この店で一倍高いボトル、水割り」
 「お前は水割りしか酒を知らないのか?」

 そう言いながら、リゾットはシェイカーにウィスキーとミネラルウォータを注いだ。

 「サービスと粋がないバーテンには丁度いいでしょ?」
 「そういうのが欲しかったらよそにいけ」

 リゾットはシェイカーを振り、水割りをつくった。

 「いや、いらん。意識した粋な言葉なんて反吐が出る」
 「そう言ってる奴が一番気取っているように思えるんだが」
 「あっ、そう? そうかも」

 彼女はテーブルに顎を載せて、リゾットを見上げる。
 橙色の照明でもわかるほど、彼女のうなじは赤かった。

 「ねぇ、リゾット」
 「どうした?」

 出来上がった水割りを差し出そうか迷っているうちに彼女が手がそれを奪う。
 うふふと不適に笑いながらグラスをあおった。

 「バカ」

 リゾットは止めればよかったと後悔をする。

 「ん? なぁに?」
 「なんでもない」
 「うん? まっ、いっか、ところで、リゾット、あたしの名前を呼んでみてよ」

 唐突の要求。
 それになんの意味があるのか、と言う問いをしてもきっと無駄だろうと彼と半ば呆れて言った。

 「

 ただ、名前を口にしただけなのに彼女は眉をひそめ、困惑し、実に複雑そうな表情を浮かべて。

 「……この人、今、名前で呼んだよ。呼ばないと思った」
 「忘れたらひどいだろ」
 「でも呼ばないじゃない、あんまり」
 「そうか?」

 彼女と彼が会うのはたいていが仕事。
 『殺す』という目的のための通過地点でしかない彼女。
 しかし、ここでは違う。

 「そうよ」
 「
 「いや、今、呼ばれても」
 「
 「からかってる?」
 「さあな」

 そう言ってリゾットは店じまいのためにカウンターを離れる。
  は自らの目を疑った。
 すれ違いざまに見た彼の口元がゆがんでいた。
 彼女はたまらないというように目を細めて彼を見た。
 親愛とも友愛とも似つかない奇妙な愛情を彼女は感じた。
 それもまた錯覚かもしれないと笑う。

 「ねぇ、リゾット」

 愛をこめて名前を呼んで。
  はグラスを片手に彼のそばに近寄った。
 リゾットの指先が熱を帯びた耳に触れられる。
 彼女は彼の指先の心地よい冷たさを感じるため目を閉じた。

 「酔いのうえの不埒を、致しませんか?」

  はふざけた調子で首を傾け、リゾットの手を肩と首の間に挟んでしまう。

 「お前、酔ってるだろ?」
 「うん、でも大丈夫、覚えてるから」
 「わけがわからない根拠だな」
 「いやいや、あたしはね、リゾット、酔っていても記憶は鮮明なんだよ。つまり」

 そこで言葉を切って彼女はリゾットを見上げる。

 「本気ってこと」

 にこやかな微笑みに対して、リゾットは無表情でそれを見つめ返した。
 言葉はない。

 「冗談はよくて、本気はダメ? ねぇ、リゾット」
 「いや、そういうのは」
 「とうの昔に捨てたの?」

 彼の過去を知っているとでもいうように彼女の瞳がリゾットを貫く。
 リゾットは目逸らし、 から体を離した。

 「ねぇ、リゾット」

 彼は答えない。
 数々の記憶と同時に疑念が渦巻いた。

 「ねぇ、リゾット」

 彼は答えなかった。
 拒絶。
 それでも彼女は乞うように名前を呼んだ。

 「白々しい」

 リゾットはそれに対して吐き捨てるように拒絶をする。
 その言葉を聞いて彼女は首を横に振る。

 「あなたに会わせて、リゾット」

 その言葉に彼は困惑する。

 「お前が呼んでいるのは誰だ」
 「何者でもないただのリゾット・ネエロ」

 暗殺者でもなく、カウンターにいる彼でもない。

 「どうして」
 「どうしてって。会いたくて、共有したくて」
 「何を」
 「これからの記憶。嫌? 自分には未来がないとでもいうの?」

 彼女は知っている、リゾットたち暗殺チームが今、組織でどういう状況なのか。
 不可解な言動にリゾットはますます理解不能に陥った。

 「本当に、冗談にしてはたちが悪いぞ、

 彼女は名前を呼ばれたことがうれしいのか幼げに首をかしげて微笑んだ。

 「ねぇ、冗談にしないでよ、リゾット。ねぇ、リゾット、好きなやつを残して死ねる、そんな幸せ欲しくない?」
 「悪趣味だな」
 「んふふ、そうかも。でも、強要はしないよ。なんせ、酔いのうえの不埒」

 そう言いながらおぼつかない足取りで はカウンターにつっぷした。

 「でも、どんなふうにでも想いに、想いで返してくれたら、それはあたしの願ったリゾットだよ」
 「周りくどい」
 「うーん、じゃあ、好きだよ、リゾット」

  はカランと氷の入ったグラスを揺らす。
 態度も言葉も気取ってる。
 リゾットはやるせなさを感じながらもどこか心地よさを覚えた。
 それを自覚すると、自然と足が彼女の許に行きたくなる。
 自身でも希っていたのかもしれない。
 でも、その前にと、リゾットは店の看板をひっくりかえす。





―――CHIUSO(閉店)。









記憶 08/04/21






企画『The Number Of The Beast』に寄稿。
この度は、素敵な企画に参加させていただきありがとうございました!