青天白日の昼下がり、プロシュートは恋人の部屋のチャイムを鳴らし続けていた。金を持っているくせに管理が面倒だからとワンルームのアパートに住む彼女の、その部屋のドアがようやく緩慢ながら動きを見せる。また閉められては面倒だ、と靴が汚れるのもかまわず急いで隙間に足を突っ込むが、乱暴な悲鳴をあげて扉は再び沈黙した。ご丁寧にチェーンが掛けられていて、やっと向こう側の顔が覗く程度にしか開かなかったのだ。
「ペッシぃ? なんでオメーがの部屋にいるんだ!? あァ!?」
上目遣いの弟分を見るなり、プロシュートは足の細さを活かして扉の隙間からペッシを蹴飛ばした。甘んじて受け入れたのだろう、軽く吹っ飛んだペッシは靴跡のくっきりついた腹を抱えて悲鳴をもらし、誤解だよ兄貴、と声を震わせてもう一度顔を覗かせる。
「兄貴が部屋に入って来ないように見張ってろ、ってちゃんに言われたから……一晩中玄関にいたんだよォ」
「本当か? 本当にペッシ、おまえは玄関にいただけなんだな?」
「本当だよォ、兄貴ィ……オレが兄貴のちゃんに手を出すはずがないじゃないスか!」
「それもそうだな……おまえにそんな度胸はねえ。じゃあはどうしているんだ? なんでおまえを見張りなんかに立たせて、出てこねーんだッ!?」
この怒鳴り声もとっくに聞こえてるはずだ、プロシュートは苛立ちを抑えもせずにペッシに詰め寄る。ドアの向こうへ手首を突っ込みペッシの顎を掴み上げて、モデルのように小さな顔を近づけた。まだ答えようとしないペッシの目は感覚を失った魚のように泳いでいた。目の前の兄貴も怖いが、後ろでベッドに転がっているはずの彼女も怖い。このまま黙っていても、口を開いても、どちらかは裏切ることになるのだ。ペッシはなるべく中立に立とうと、言葉を選んだ。
「その、ちゃんは……兄貴が昨日、浮気をしたから怒っているんだ」
「浮気ィ? オレが浮気をしたって? してねーよ。出鱈目言ってんじゃねえぞ、ペッシ!」
もう一度蹴られそうになって、今度こそペッシは逃げた。足音の長さから言ってを呼びに言ったのだろう。それならそれで良い。プロシュートは身なりを整え、彼女を待った。
ペッシの言っていた昨日の浮気、について思いをめぐらせる。浮気だなんて、本当に身に覚えがなかった。昨晩は確かチームの仲間とバーで飲んでいた。もちろんとペッシも居た。自分がいつ、どうやって帰ったかの記憶は無いが、いつものことだった。今朝は自分のベッドで目を覚ましたし、ましてや見知らぬ女が転がっているなんてこと、ありはしなかった。服も着替えずに寝てしまったようで、お気に入りのスーツが皺になって舌打ちをしたくらいだ。
は愛人ではなく恋人だったし、プロシュートは惚れた女には一途だった。たとえ酒に酔って記憶を失っていたとしても、他の女に手を出すような真似をするはずがない。プロシュートはへの愛情に対して、絶対の自信を持っていた。
「おい、。どういうことだ? 誰が浮気したって?」
二人の出てくる気配のないことに痺れを切らし、足を挟んだままだった扉の隙間から声を投げる。なんで真昼間からB級のメロドラマを演じなきゃなんねーんだ、と心の中でため息を付け加える。
「兄貴、ちゃんが入れって」
ペッシが説得したのだろうか、疲労半分、安堵半分を不安の中に包んだ顔で、チェーンを外しに来る。プロシュートはふんと鼻を鳴らし、スマートに足を踏み入れた。ペッシはチェーンを掛け直してプロシュートの後を二倍の歩数で続く。言い掛かりだと怒っている分、兄貴分の歩調はいつもより早い。
広くはあったがもとよりワンルームだ。ペッシが小走りに追いついたときには、ベッドであぐらを掻いていると堂々と立つプロシュートが対面していた。どちらも気が立っているので、ペッシには恐怖の図だった。
「よく私の前に顔を出せたものね。色男の兄貴さん」
黒いキャミソールにホットパンツ姿のは、睨み合った末いきなり食って掛かった。どうやら面と向かって文句を言うために部屋に入れたらしい。見守るペッシも気が気ではない。なんとか和解させようとは思っているのだが、とても口を出す度胸はなかった。マンモーニは黙っていろ、と言葉でも足でも一蹴されて終わりだろう。
「、冗談言ってオレを困らせんじゃねェ。オレがいつ、誰と浮気をしたっていうんだ」
「覚えていないなんてもっと最低! あなたはいったい、どれだけ私たち兄妹を弄べば気が済むの!?」
「はァ? 兄妹だと? なんでそこでリゾットの奴が出てくるんだ」
プロシュートの中の怒りが、幾分か疑問にとってかわった。確かに昨晩はの兄でチームリーダーのリゾットも一緒に飲んでいたが、特に絡んだ覚えはない。あいつは大体、宴会でも一人酒だ。首を傾げてもう一歩、に詰め寄る。彼女が後ろに下がろうとしたので手首を掴むんで止めたが、シーツを握り締めて抵抗している。涙こそ浮かべていないものの、彼を睨みあげる目には依然怒りしかともらない。
「ペッシ、説明してあげて」
逃げるを追って片膝をベッドに乗り上げていたプロシュートは、彼女の言葉に視線だけ動かす。「言ってみろ、ペッシ」と彼からも命令され、ペッシは慌てて頷いた。彼にしても、早く問題を解決して解放されたかったのだ。
「昨日兄貴は……ちゃんと間違えて、リゾットの兄貴に抱きついてキスしちゃったんスよ。リゾットの兄貴も酔ってぼうっとしていたから、その、かなり……熱烈に」
床を見ては兄貴分を見る、ペッシのしどろもどろな説明を聞き、プロシュートは眉根を寄せ彼からに視線を戻した。
「それだけか?」
瞬間、は手首を掴んでいたプロシュートの手を力尽くで振り払い、滑らかな頬にビンタを食らわせた。一晩中怒りの治まらなかった彼女には、少々無神経な一言だったかもしれない。ペッシは両手で顔をおさえ、これ以上の修羅場にならないことを懸命に祈った。傍にいる自分も致命傷を受けかねない。
「酔っていたからって、恋人を間違えるだなんて信じられない。ましてや実の兄と!」
自分の兄と恋人の濃厚なキスシーンは、にとってトラウマになりそうなほどのショックだった。事実あのバーにはしばらく近寄りたくないとすら彼女は思っていた。だが肝心のこの彼氏には、大した過ちではなかったらしい。青ざめて平に謝るくらいの反応をは期待していた。このままベッドを使う、というほどの気は起きなかったかもしれないが、少なくとも許しはしたのに。彼女は彼に毛布を被せ、ベッドの上から蹴倒した。
「ケダモノに用は無いわ。裁きを下す価値もない。出て行って!」
スタンドも発動しかねない勢いだったが、引き下がるプロシュートではなかった。毛布を裂くように引き剥がし、飛びあがってに馬乗りになる。
「あ、兄貴!」
「理解したぜ。悪かった、。オレはおまえをひどく傷つけたんだな?」
その体勢とは反して、やわらかい声音でプロシュートは謝罪した。焦っていたペッシも拍子抜けして胸を撫で下ろす。しかし今度は自分が邪魔者になりそうな気配を感じて、やはりどうしてたいいかわからないペッシだった。
プロシュートの影の中、の顔からは毒気が抜けていった。彼女もそもそも心底から彼に惚れているので、こんな風に謝られては怒りの熱がときめきの鼓動に変わるのも時間の問題だった。
「わかってくれるの? プロシュート。私がとても辛かったって」
「ああ。どうやら悪いのはオレみてェだからな。弁解はしない。裁きたいんなら好きに裁け」
プロシュートは腹を括ったらしい。忘却もまた罪だ。潔く自分の非を認め、彼なりの言葉でに許しを乞う。は両手を伸ばして彼の小さな顔を挟み、厚みのある唇に触れた。彼の顔の中で、額の次にセクシーだと思っているパーツだった。
「ならキスして。昨日のキスシーンを忘れられるくらい、激しく」
「兄貴と間接キスになるが、構わねーのか?」
「お気遣いなく。小さい頃に直接経験済みよ」
「はっ。浮気はお互いさまだな」
悪戯っぽく舌を出したのそれに、プロシュートは自らの舌を絡めた。水音と息遣い、断片的な声が混ざり合い、やがてベッドのスプリングが軋み出す。今日は一際、甘い声も奏でられるだろう。
ペッシは大好きな二人が仲直りをしたことに安堵と喜びの微笑みを浮かべ、そっと部屋を出て行った。
Raguel 〜裁き〜 「浮気者に弁解は許可しません」
08.2.12
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Agla
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