手の甲にある引っ掻き傷を色のない目で見つめその視線を目の前で牙を向いている女に向ける。まるで猫のように毛を逆撫で敵意剥き出しの瞳で己を見つめるその姿は何処か必死で食指が動く。見せ付けるように手の甲から流れる赤い血をべろりと舐めれば女は顔をかっと赤らめ視線を逸らした。それが命取りになるとも知らずに。に手を伸ばしその手首を掴み素早くソファに押し倒す。幾らが暗殺チームといえども俺は男でこいつは女。根本的な力では敵う訳が無い。喉を震わせ笑えば蹴りが飛んでくる。それを押さえ込み捻り伏せそのまま彼女に口付ける。優しいキス、なんてそんな甘いものじゃない。…全てを奪い尽くす、呼吸さえも許さないキスを。




「っふ、」




唇を離しを見つめる。白い肌を仄かに上気させ荒く息を吐くその姿は己の中にある欲望をより大きなものとしていく。剥き出しの首筋に噛み付けばは弱々しい声で、しかしそれでも抵抗を含んだ声で俺の名前を呼んだ。




「やめっ、!」
「やめろ?誘ってきたのはお前だぜ」
「ち、が…プロシュート、がっ!」




頬を上気させ荒く息を吐き涙目で男を見つめる、それが誘っていないと言うのならばこの女は余程男のことをなめているのだろう。まあ尤も、にその気が無いことくらい分かっている。がり、と少し強く首を噛めば抵抗が少し弱まる。不意に首から口を離して彼女を見つめれば、かたかたと小さく震え涙をぼろぼろと溢しながら青褪めていた。その姿に僅かに瞠目し、それから苦笑いを浮かべの額に優しくキスを落として手首を離し、解放する。一方は何が起こったのか理解していないのか濡れた瞳を何度か瞬かせ退いた俺をじっと見つめている。




「行け」
「…プロシュート、」
「うるせぇ」




出て行け、と色の無い声で小さく呟く。は肌蹴た服をぎゅっと握り締め一瞬泣きそうな表情を浮かべてから、ベッドから立ち上がりその部屋を後にした。ばたんとドアが閉まるその音を聞きながら天井を仰ぐ。心は痛まなかったが代わりに手の甲の傷がずくんと痛んだ気がした。














鏡に映る自分の姿を見て溜め息を吐いた。否、正確には自分の首にある赤い痕だろうか。今でもプロシュートの柔らかい唇を鮮明に思い出すことができ身体に甘い疼きが起こる。素直になれない、というのも限度がある。ほんの戯れ程度ならばそれは可愛いものかもしれないが、相手を傷つけてまで拒絶するのは違う。恥ずかしいからなんて下らない理由で、じゃないけれど。プロシュートから貰ったネックレスを取り出してそれを見つめ、また溜め息を吐いた。あの日からわたしは彼と会話は愚か、目さえも合わせない。いいや、合わせてもらえない。プロシュートは完全にわたしを拒否している。…馬鹿、みたいだ。自分で招いた結果なのに、こんなにも傷ついている。あの時素直に言えば良かった。…こんなにも、貴方のことを愛しているのに。




「後悔、しているのか」
「!…な、何だ…リゾットか…びっくりさせないでよ」




急に現れた気配と聞こえてきた声に肩を揺らし振り返るがそこにいたのがリゾットだと分かり、一気に緊張が解ける。リゾットがまた「後悔しているのか」と先程と同じように聞いてきて、手に持ったペンダントを彼に見えないようにぎゅっと握り締め別に、と素っ気無く返した。その時リゾットが呆れたように溜め息を吐く。それが癪に障り彼を睨み付ける。しかし、リゾットは相変わらず無表情の儘。




「らしくないな。…お前も、プロシュートも」
「煩い」
「惚れているんだろう?」
「うるさい、」




黙って欲しい。どくどくと荒れる心臓を押さえ込むように胸の辺りの服をぎゅっと握り締めた。リゾットから問われなくても、分かっている。わたしはプロシュートのことが、好きだ。(でも、)




「怖いのか」
「っ、ちが、」
「違わないだろう」




リゾットの見透かした言葉に必死に反論するけれど、意味は無い。わたしなんかが考えていることなんて、見透かしてしまう。わたしは、怖い。わたしが素直に認め、プロシュートと結ばれたとしよう。けれどわたし達は普通の人ではない。平穏なんて望むことが出来ない。一度認めてしまえば失うことが怖くなる。昔は守るものなんて無かった。だから、死ぬことを恐れていなかった。けれど今は、チームがいる。それだけでも死ぬことを、失うことを恐れているというのに。…これ以上、失いたくないものを、増やしたくない。




「馬鹿な奴だ」
「…分かってる」
「生憎だが、俺も、それからプロシュートもそこまで弱くない」




冷たいリゾットの手が、頬を包み込む。彼の手を濡らす雫。リゾットがもう一度、馬鹿な奴だ、と呟いた。(分かっている、わたしが愚かなことくらい。そしてわたしもリゾットも彼もそう簡単には死なないことを。けれど一歩を踏み出すことが、有り得ないことだと思いながらも、失ってしまった時のことを考えると、どうしようもなく恐ろしいのだ)




「俺も、お前も、…奴も、失うことを恐れてしまっている。お前だけでは、ない」




静かにそう呟くリゾット。赤い瞳がじっとわたしを見つめる。(、リゾット、も)そう思うとどうしようもない程、胸が締め付けられ小さく嗚咽を溢し涙を零す。もう一度、戻れないのだろうか。プロシュート、わたしは貴方のことを、今でも愛しいのに。




「…来たか」
「え、?」
「っ!」




リゾットがそう呟いた瞬間ドアが大きな音を立てて開く。そこには息を切らしているプロシュートがいて、いつも綺麗に整えられた髪の毛は乱れている。かつかつと靴音を響かせ足早にこちらに向かってくるプロシュート。その表情は険しい。プロシュートが地を這うような声でリゾット、と名前を呼んだ瞬間彼はそのままリゾットを殴った。一方わたしは目の前で起こった光景が一体何なのか理解出来ず、涙に濡れた瞳を瞬かせる。しかしはっと我に返り慌てて殴られたリゾットの元へ行こうとする。が、プロシュートに力強く腕を掴まれ行くことは出来ない。何をするんだ、と思い振り返り彼の名前を呼んだ。




「っプロ、っ!」




しかし、最後まで呼ぶことは出来ない。そのまま引き寄せられ乱暴に口付けられる。あの時以上に全てを奪い尽くすようなキス。突然のことに必死に抵抗するが、押さえ込まれ敵わない。舌が絡み合い身体中に甘い痺れが走る。暫くして彼はようやく唇を離してくれ、わたしは酸素が足りず頭がくらくらし、プロシュートの胸に倒れるようによりかかった。目の前がぼやけて、まるで夢を見ているようだと思った。




「こいつは俺の女だ。手ぇ出すんじゃねぇ!」




激情のまま怒鳴るプロシュート。わたしは未だに一体何が起こったのか理解出来ずリゾットの方に視線を向ける。彼は殴られた頬を押さえ珍しく笑みを浮かべていた。多分、滅多に取り乱すことのないプロシュートを見て、だと思う。リゾットが立ち上がりこちらに向かってくる。それから、「手助けしてやったんだから、お返しだ」と言ってプロシュートを殴った。…ど、どうしようこの状況!




「えっ、ちょっ、」
、奴の手当ては頼んだぞ」
「リ、リゾットは、」
「俺はイルーゾォに頼む。…じゃあな」




そう言って颯爽と去っていくリゾット。一方わたしは涙なんか引っ込んでいて未だに思考が現実についていかないことに戸惑いながらも、殴られ座り込んだプロシュートに視線を合わせるようしゃがみ込む。殴られた痛々しい痕にそっと手を伸ばし触れたら、プロシュートは顔を歪め呻いた。折角の綺麗な顔が台無しだ。そう思いながら、じっと見つめる。不意に、プロシュートもこちら見て、じっと見つめてきた。段々恥ずかしくなって視線を外そうとするが彼にしっかりと固定され視線を外せない。彼の透き通る青い瞳がわたしを捉えて、離さない。吸い込まれるように、プロシュートはわたしに口付ける。優しい、キス。そっと唇が離れ目が合い互いに笑みを溢す。




「あとでリゾットに謝らなきゃ」
「…そうだな。にしても、あいつ本気で殴るこたねぇじゃえか…これ、絶対暫く痕残るぜ」
「いいんじゃない?多分リゾットもそうだし、おあいこだよ」




くすくすと笑みを溢し彼の頬に優しくキスを落とす。そうだな、とプロシュートも笑みを浮かべた。暫く二人で笑いあっていたが、プロシュートの怪我の治療を思い出し治療の道具を取りに行こうと立ち上がる。が、プロシュートがわたしの腕を掴んでそのまま抱え上げ、ベッドの上に放り出した。急な衝撃に小さく悲鳴をあげ文句を言おうとプロシュートに視線を向ける。




「ちょっとプロシュート、何するの!」
「恋人同士の時間に、何するの、なんてそんな言葉は無粋だぜ?」




に、と笑みを浮かべるプロシュート。怪我をしていてもそれが様になるのだから嫌になる。でも、と反論しようとしたら彼からまた口付けられる。これからのこの時間にそんな言葉は必要ない、とでも言うように。唇が離れ、熱に浮かされたようにわたしの名前を呼んで、上擦った声で「愛してる」と囁くプロシュート。ここまで余裕が無い彼をみたのは、初めてかもしれない。込み上げる愛おしさに浸っていると、彼が急に意地悪な笑みを浮かべた。




「お前は?」
「え、…わ、分かってるくせに…」
「んー、分かんねェな」




この男は、と思い頬が引き攣る。ここでわたしも素直に「愛してる」なんて言える訳がない。この騒動だってわたしが素直になれなかったから、なんだから。どうしようと視線を泳がせているとプロシュートが意地悪な笑みを浮かべ耳元に唇を寄せ、囁いた。







俺に惚れてるくせに





Lucifer
驕慢










080501
企画「The Number Of The Beast」様に寄稿。ありがとうございました!